超優秀な人と勉強会をすることの意義について

今日とある企業の筆記試験後、友達がインターンで課題を出されて助けを求められたので、一緒に考えることにした
彼は僕以外に、別の人も招集していた
その彼が表題のめちゃくちゃ頭のキレる超優秀な人である
彼はBCGとかDIとかUBSのIBDのjobに参加したりATKとかDTCとか蹴ったり(つまり最難関の選考に通過してる)というとんでもない人だったのである…
その人が来るんだったらオレいらないじゃんって思ったのだけど(しかもその課題に対して俺は素人だがその人は授業でかじっていた)、せっかくだからその人との議論に参加して、どれくらいヤバいのか体感したわけである
そして議論が始まったわけだが、やはりその実力は半端なかった…!!!
質問の観点の鋭さ、全体把握と問題点を捉える速さ、理論構築の速さと正確さ、説明のわかりやすさ、相手の質問の意図を汲み取る速さ、それに的確に答える思考力と発想力、高速で議論を進めているにも関わらずペースが落ちない持久力…
どれをとっても次元の違うクレバーさであった
あーゆー人間が世界トップクラスの企業、あるいは大企業のブレインとなっているわけね…

何か、あーゆーのが外資コンサルとか外資銀行に内定貰えるレベル(実際それでも落とされてしまうこともあるらしいのだが)なんだと考えると、「出さないよりはマシだ」とか言ってそーゆーところにエントリーすること自体恥ずかしい気になってくる…
逆にそれくらいのレベルが求められてるとわかれば、落とされても気持ちよくいられる

その勉強会は、彼が会話の93%を支配して、議論するというよりは完全なレクチャーだったのだが、得られるものはとてつもなく大きかった
知識的なことはもちろん、思考の方法とか理論構築のステップとか見習うところは大きく、話聞いてるだけで何か頭良くなった気がする
こういう機会は将来にわたって常に持ち続けたいと思った
レベルの違いに引け目や負い目を感じたりももちろんするけれど、それが刺激となって彼のレベルに少しでも近付こうと努力するし、日々の勉強のモチベーションも高まる

何か困ったことがあったら、自分の狭い視野と足りない頭でだらだら悩んでるよりも、詳しい人や自分よりキレる人に対してどんどん発信していこう
全てそうすべきだというわけではないけれど、人と交わることは多くの点で早く効率的に成長できる方法であるはずだ

その後友達と話したが、自分の人生において完璧に満足できる到達点なんか存在しない
自己成長を日々感じ続けることが、人生において満足できること
それがない人生なんてつまらない、日々誰でもできる(あるいは代わりがきくような)仕事はしたくない、限られた人にしかできないスキルを身につけたい、挑戦し続けて力をつけていきたい、それができる環境に身を置きたい
精進し続けよう