「目的意識」

先日TOEICを受けてきた
前回の出来栄えと比較すると、是非とも今回は上がってほしい…前回は全然ダメだったにもかかわらず微増したから今回こそは…わからない問題もやっぱりあったんだけど、それでも半年前の自分と比較するとかなり変わったなーと思う
昔はリスニングなんて何言ってるか全然わかんなかったし、リーディングも全然解き終わらなかった
でも今は、聞き取れないのは数問くらいになったし、解く速度も答えの着眼点もかなり上がったと思う(もちろんまだまだなんだけど…)
英語はホント継続してできるようになるものだと思う、最初の頃は点数が上がらなくていっつも引け目感じて悔しい思いして投げ出したくなってたけど、それでも根気強く日々繰り返しているうちに、力は着実についていってた
僕は誰かさんみたいに900超えるまで意地で続ける気持ちはないけれど、ある程度まで行ったら今度はフランス語に足をのばしていこうかなーと思う、まぁしばらく先の話になりそうだけど

TOEICの点数がなかなか伸びなかった頃、僕はこの理由についてよくこう思っていた
「(英語の点数を上げる)目的意識がないからだ!」
人は自分が好きなことしかやりたくないと思うはずだけど、もしある目標を達成する必要があるならば、苦しくても好きじゃないことをやるだろう、その前提として目標を叶えたいとする覚悟が必要なわけだが
友人は目標を持つ際に大切な3要素を経験的に思って挙げていました
「覚悟」と「客観的視点」と「勇気」
必ず設定した目標を叶えるんだという「覚悟」を持ち、そのための自分に合った目標達成方法を「客観的視点」で考え、道が遠くても険しくても「勇気」を持って臨むこと
「よく何を目指しているのかわからないけど頑張るとか、なんとなくやりとげるとか頑張るとかって状況がありますが、生産性の低い努力は本物の努力とは言えないと思います。」
という友人の言葉には耳が痛いです…
TOEICの点数を上げるのも、単に「ちょっと有利になるから」程度の目的意識でやっているから頑張って勉強しないんだって

以前にも別のところで書いたけど、僕の身近に2人極端なやつがいる
「箔」で頂点を目指してる人と、「好き」で頂点目指してるやつ(後者は頂点目指してるわけでもないのかな)
「箔」はつまり最上級レベルの資格(海外MBAとか公認会計士とか)で、「好き」は自分の興味のあること
2人は結局目的意識がはっきりしているから、あるほどの能力があるのだ
「地頭の良い人間は地頭が良いからこそ自分が何をすべきかに早い段階で気づいているということです。小学生の間に気がついた天才は17歳とかで海外のドクターなんかを取ってます。そのための努力を幼い時期から自分の意志でできていたと言うことです。 」
早いうちに気付けることが素晴らしいことではない
早く気付けると人生がより豊かになりますよということだ

11月はかなりの数のOB訪問をした
管理職の人とも1対1で話をした
その中で感じたことは、デキル大人はみな「目的意識」が明確なのだ
何のためにそれをやっているのか、何でそれじゃなきゃダメなのか…
自分に足りないのはやっぱりそこ、小さい頃から自分の興味よりも負けず嫌いと向上心で突き進んできた僕の船は、「君は何がしたいの?」と煽られ続ける就職活動の波に完全に飲み込まれている…
まさに現代社会の犠牲者(っていう意識は嫌いだけど)、外から与えられ続けてきた方程式が、突然内なる最適化問題に置き換わってしまった、そんなすぐに対応できねーよ…
でも、苦手や食わず嫌いはきっとコツコツ繰り返していたら解けるようになると思うんだよね、そこで間に合わなくて妥協したり投げ出すのが1番ダメなんだから、妥協して今後の何十年の人生をひがみながら生きていくくらいなら、少しくらい遠回りしたっていいじゃない(常に自分と幸せについて対話しながら)
自分がやりたいと思ったことをやることが1番の幸せなんだもん、そりゃ運の要素だってあるんだけどさ