自信を持つんだー!

先日、うちのおとんがイギリスへと旅立たれました
齢50にして3年間(最低でも)イギリスへ単身赴任とか大変だなぁ〜
出発直前は体調不良で心配していたのだけど、無事にイギリス生活をスタートさせた模様
母親に送られたメールを読ませてもらって、環境や近況を知る
それで思ったんだけど、離れたときの連絡手段って大切だなーって
オレも愛知から大学は関東へ移ったけど、大学に入って間もなく、親への近況報告的な位置付けでブログを始めた
そのうち親が見てることも忘れて割と赤裸々に綴っていたのだけど(笑)、今にして思うと、ブログがあったことで親もオレが何してるのか、何考えてるのか分かって結構安心していたらしい
というわけでおとんにもブログをやってほしいとかちょっと思っているw


最近某2社のGDを受けたのだが、両方とも突破できたのが嬉しい…
まぁこれまでを振り返っても、採用段階のGDを経験したことはほとんどない
この2社を含めても、まだ計3回だ
ただ、最初に受けたその1社が、オレにGDのトラウマを植え付けた…
それがキッカケで去年は病みに病んで、自信付けるために色んなところでGDの練習したけど常に不安だった…
でも色んな人に支えられて気持ちを前向きにできて、練習も相まってこうしてとりあえず小さな成功をおさめることができた


やはり気持ちの持ちようなのかもしれない
自分の実力は短期間でそんなに急激には変わらない、最後は自信を持つことが何より重要だ、もちろん「根拠のある」自信を持つ方がいいんだけど


GDにおいて、ある考え方を持ったことは大きかったと思う
その考え方をそのまま表現してた言葉を見つけた
FCバルセロナの司令塔Xaviの言葉だ
「相手を恐れてはいけないし、軽視してもいけない。相手に敬意を持って試合に臨まなければいけない。僕は平凡な選手だ。もし僕が凄いと評価されるのならば、それは周りが凄いことで自分が活きるからだ。」

もっとも美しい数学 ゲーム理論

専門分野ではなかったんだけど、「その数学が戦略を決める」の読者もかなり読んでるみたいだったからノリで買ってみた

でもこの本、とっても面白かった★★★★★
というのも、自分の興味の本質に凄く近い学問だったからである
ゼミで先生の話が横道に逸れてゲーム理論の話をしてくれて、この本の内容と非常にリンクして理解が少し進んだ

初期のゲーム理論は「人間は常に合理的に動く生き物である」という前提で理論が積み上げられているのだけど、その枠組みでは上手く説明ができなくなった
それはつまり、人間は「常に合理的には動かない」生き物であるということを意味していた
例えば人間は電車で席を譲るけれど、人間が本当に合理的な生き物なら、自己の利益を最大化させるために、席は譲らないものだ
では「何故、人間は合理的ではない行動をするのか?」
それは、「そういう行動をすることが人間にとって自己の利益を最大化させることだからである」と思われた
しかし、そうとも言い切れず、「人間は、自分が育った環境や文化の影響を受けて、それが自分の行動の選択に多大な影響を及ぼすのではないか」と考えられている

そうこう考えているうちに、人間を個として考えて理論を構築していくのは非常に困難なことになってきた
そこで、人間を個ではなく集団で捉えて、人間は集団としてどういう動きをするか、ということに研究が進められた
ちょうど人間を、空間を飛び回る原子と考えて、物理学の統計力学で膨大な原子の動きを扱うように、人間も集団で扱おうということ
この点においてゲーム理論は物理学と類似した学問であるということになるのだけど、そこにはさらに、もう1つの学問が関連している
それは、人間のその合理的あるいは非合理的な行動をどのように選択するのかが確率的に変動するという、統計学である

物理学から経営学へと専門分野を変えた先生が「経営学と物理学は非常に根本的に非常に似ている」と言っていた話、そしてうちの教授の「人間を学問的に扱うには、確率を考えないことにはどうしようもない」という話に関連することがここでは述べられていて、本当に興味深かった

ざっと書いたので間違ってるところ多数、ちょこちょこ修正かけていきます

負けない議論術

就活でGDあるからちょっと読んでみた
アメリカ在住の弁護士が書いた本だから、弁護の事例が多く、内容的にはツールというよりは心構えとかそういったことがメイン

2つなるほど〜って思ったこと

  • 短所を指摘されたら、その短所を長所に変える

短所と長所は表裏一体、というのを最近ちょいちょい聞くんだけど、本当にその通りだなーと思う
真面目な性格は、逆に融通が効かないとかいう短所ともとれる
議論でも、これを逆に利用して、悪い点を指摘されても、良い点を主張して対抗すればよい、というもの

  • 議論をしかける前に相手を褒める

自分の主張を褒められると気分がよいものだ
それを言われてから「…、でもこういう考え方はできない?」と言われたら、反論する気持ちも和らぐかもしれない
相手を打ち負かすための議論ではなく、よりよい解を得るための議論なのだから、相手の意見に敬意を払う気持ちは大切だよね



はーGD不安…
「大丈夫、冷静に…」とか思っても、心のどこかにある不安を拭えない

この前Webテストの文章理解を解いてたときにこんな問題文があって

「人間の言葉は行動とリンクする。弱音を吐いていると、無意識に過去の失敗体験と同じ行動を取って失敗してしまう。逆に前向きな発言をしていると、成功体験をと同じ行動を取って物事が上手くいく。しかし、過去に成功体験がなければ、いくら前向きな発言をしても、物事は上手くはいかない。成功を収めたいと思うなら、発言も大事だが、それよりもまずは成功体験をつくるということを行わなければならない。」

GDに関してはトラウマばかりですので…
って、ここで弱音吐いてどうする…上手くいかなくなるだろが…

対策して本番に臨もう

密かに思っている不満

周りにこういう発言をする人がいる

とある会社の説明会に行って
「○○の説明会どうだった?」

学部時代の知り合いが
「今の大学はどう?」

僕はこういう類のものすごい自由で抽象的な質問が嫌いです
漠然としすぎて何を答えたらいいかわかんないんですけど…
君たちはこの質問で何を知りたいんですか?
「楽しかったです。」それだけでも満足なのか?
ただの挨拶として声かけたのか?

「説明会はためになった?」
「今の大学は楽しい?」

これだけでも答える方としては、相手が何を知りたいのかわかるし、どう答えたらいいかもわかるから良い
そういう配慮をもう少ししていただきたい…
僕も反射的に経験を言語化できるように整理するようにしますから

ここに書いてもどうしようもないのだが

「また会いたい」と思われる人の38のルール

「魅力的な人間とは、『また会いたい』って思われる人のことだろうな〜」
とか思ってたときにこの本を見つけたので読んでみた

まとめると
「相手のことを思いやって、自分を健康的でポジティブに見せよう」
ってことに尽きると思う

今からでもできるような基本的なことも多かったりします
でも頭では簡単なことだと思っていても、それを実践して習慣付けることはなかなか難しい
いきなり全てを身に付けるのは無理だから、優先度の高いものから少しずつ意識していこう


最近、読書欲強くて研究のやる気がない…やばい…

超優秀な人と勉強会をすることの意義について

今日とある企業の筆記試験後、友達がインターンで課題を出されて助けを求められたので、一緒に考えることにした
彼は僕以外に、別の人も招集していた
その彼が表題のめちゃくちゃ頭のキレる超優秀な人である
彼はBCGとかDIとかUBSのIBDのjobに参加したりATKとかDTCとか蹴ったり(つまり最難関の選考に通過してる)というとんでもない人だったのである…
その人が来るんだったらオレいらないじゃんって思ったのだけど(しかもその課題に対して俺は素人だがその人は授業でかじっていた)、せっかくだからその人との議論に参加して、どれくらいヤバいのか体感したわけである
そして議論が始まったわけだが、やはりその実力は半端なかった…!!!
質問の観点の鋭さ、全体把握と問題点を捉える速さ、理論構築の速さと正確さ、説明のわかりやすさ、相手の質問の意図を汲み取る速さ、それに的確に答える思考力と発想力、高速で議論を進めているにも関わらずペースが落ちない持久力…
どれをとっても次元の違うクレバーさであった
あーゆー人間が世界トップクラスの企業、あるいは大企業のブレインとなっているわけね…

何か、あーゆーのが外資コンサルとか外資銀行に内定貰えるレベル(実際それでも落とされてしまうこともあるらしいのだが)なんだと考えると、「出さないよりはマシだ」とか言ってそーゆーところにエントリーすること自体恥ずかしい気になってくる…
逆にそれくらいのレベルが求められてるとわかれば、落とされても気持ちよくいられる

その勉強会は、彼が会話の93%を支配して、議論するというよりは完全なレクチャーだったのだが、得られるものはとてつもなく大きかった
知識的なことはもちろん、思考の方法とか理論構築のステップとか見習うところは大きく、話聞いてるだけで何か頭良くなった気がする
こういう機会は将来にわたって常に持ち続けたいと思った
レベルの違いに引け目や負い目を感じたりももちろんするけれど、それが刺激となって彼のレベルに少しでも近付こうと努力するし、日々の勉強のモチベーションも高まる

何か困ったことがあったら、自分の狭い視野と足りない頭でだらだら悩んでるよりも、詳しい人や自分よりキレる人に対してどんどん発信していこう
全てそうすべきだというわけではないけれど、人と交わることは多くの点で早く効率的に成長できる方法であるはずだ

その後友達と話したが、自分の人生において完璧に満足できる到達点なんか存在しない
自己成長を日々感じ続けることが、人生において満足できること
それがない人生なんてつまらない、日々誰でもできる(あるいは代わりがきくような)仕事はしたくない、限られた人にしかできないスキルを身につけたい、挑戦し続けて力をつけていきたい、それができる環境に身を置きたい
精進し続けよう

負けず嫌いについて

僕は負けず嫌いです
勝負事では基本的に勝ちたがります
議論でも自分の正当性を主張したがります
でも最近ようやく、そういうところ直すべきなのだと思うようになりました

人を倒す、相手を打ち負かすような行為は次元が低いと思ったからです
相手を倒すためではなくて、(その時の)自分を倒すために負けず嫌いを発揮する方が、よっぽど優れた人間になれるはずです
議論においても、相手の長所を抑え、弱点を突くような攻め方よりも、自分(相手)の長所を伸ばし、弱点を補うような攻め方をした方が有益です
議論は(最終的には)全体最適を達成するために行うものなのだから

頂点へ進んでいくということは、結局誰かを蹴落としているということになります
結果的にはそうなるんだから仕方がない
ただし自分の心構えとしては、「周りを蹴落としてやる」んじゃなくて「自分が這い上がってやる」って意識で頑張ろうということです

少しずつそうなるように努力していこう